罪を主に認められない人は、さいわいである」。
主によって不義を負わされず、 その霊に偽りのない人はさいわいである。
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。
そのとががゆるされ、 その罪がおおい消される者はさいわいである。